2012年2月1日水曜日

多賀城の水道の始まりは「多賀城海軍工廠」

多賀城市八幡2丁目の末の松山浄水場入口左手にある多賀城市「水道沿革碑」。同浄水場は横須賀海軍施設部が現仙台市岡田に井戸を掘り、集水した水を浄水するために造った浄水場。浄水された水はここから現多賀城高校北側にある「天の山配水池」に送水され工廠関連諸施設に給水された。上写真左にある消火栓は横須賀海軍施設部によるもので、上部に錨マークがついている。    海軍工廠造営時に造られた水道施設の所管は、米軍、防衛庁を経、多賀城市に全面移管されたのは昭和54年4月で、比較的最近のことである。









多賀城高校北側にある天の山配水池。写真は海軍工廠時の配水池を解体し、2基目の新配水池を造ろうとしている時期のもの(多賀城市水道部提供)。

なお以上「末の松山浄水場」「天の山配水池」の地図上の位置については、2011年11月26日の掲載した「多賀城海軍工廠跡の現況」図でご確認ください。

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