2013年5月16日木曜日

兵庫県加西市から多賀城海軍工廠製造機銃の収納箱が見つかりました。


 兵庫県加西市の上谷昭夫さんより「多賀城海軍工廠製作機銃の木箱の板が農家の納屋から見つかった」とメールを頂戴し、写真を送っていただきました。加西市には、「零戦」の後継機である「紫電」「紫電改」を組み立てる工場(川西航空機姫路製作所)があったそうです。
 多賀城海軍工廠で製作され、試射実験をパスした機銃は、引込線、東北本線、横須賀線経由で横須賀海軍軍需部に送られ、そこから全国の戦闘機組立工場に再配送されたことがわかっていましたが(嶺岸儀蔵さんの証言)、具体的にどこに送られたか全くわかっていませんでした。今回、具体的な証拠により初めて明らかになりました。
 右半分の写真は左半分の左下部分の拡大写真です。
 上谷さんは加西市で戦争遺跡を調査・保存する「鶉野平和祈念の碑苑保存会」の会長さんをされていらっしゃいます。
 今後、多賀城懇話会両者の交流が発展することを期待しています。






2013年4月16日火曜日

私の講演『多賀城海軍工廠の全容』(4/20)に100名の方が参加してくれました。

 来る4月20日(土)午後1時半より、多賀城市文化センター第3・4会議室において「くらしと民主主義、史跡・緑を守る多賀城懇話会」(略称;多賀城懇話会)の総会がおこなわれます。
 第1部で私が「多賀城海軍工廠の全容」と題し記念講演をおこなうことになりました。
 『図説 多賀城海軍工廠』を出版したばかりなので、それにそった話になると思いますが、出版以後解明されたこともありますので、それらは重点的にお話したいと思います。
 たとえば、多賀城海軍工廠は慶応義塾大学工学部から工作機械を借りていましたが、その背景は『慶応義塾百年史』によって明らかにされています。
 また、多賀城工廠開廠直後の昭和18年12月11日昼に火工部で大爆発が発生、同部は焼野原となりました。翌年正月、仕事がないため女子工員700名が大阪堺の軍需工場に送られました。その「軍需工場」とはどこか?これまでは明らかではありませんでしたが、「大日本セルロイド」であったことがわかりました。
 当日は多賀城海軍工廠の全体像はもちろんですが、『図説』で何を解明できたのか、発刊後どういう点が明らかとなったのか、等を中心にお話したいと思っています。
 どうぞお気軽にご参加ください。
 なお、すでに『図説』をご購入いただいたかたはぜひお持ちになってご参加ください。

追記

 当日は100名を超える方々の参加がありました。ありがとうございました。

藤原益栄著『図説多賀城海軍工廠』の発刊祝賀会が開催されました。

 3月15日夜、発行団体である「くらしと民主主義、史跡・緑を守る多賀城懇話会」の大村武平代表とともに、菊地健次郎多賀城市長、板橋惠一多賀城市議会議長ほか各会派代表、安住政之多賀城七ヶ浜商工会長等、多賀城を代表する方々の呼びかけにより、私が執筆した『図説 多賀城海軍工廠』の発刊祝賀会を開催していただきました。
当日は150名の方々にご出席をいただき、記念に万年筆(目録)をちょうだいしました(写真上)。
 私は、「①この仕事は多くの方々の研究を受け継いではじめてできたもの。先駆的な調査と研究をされた方々に敬意を申し上げる。②多賀城小学校PTA役員時代の仲間、多賀城懇話会の仲間、議会の仲間、多くの友人・仲間に恵まれてこそできた仕事。仲間に感謝する。③私の生まれは岩手県岩泉町。私がここに立っているのは、東北学院大学工学部に進学させてくれた両親、そして多賀城に残るよう勧めてくれた日本共産党のみなさんのおかげ。すべての方々に感謝を申し上げ、お礼といたします」と礼を述べました(写真中)。
 当日は、日本共産党の高橋ちづこ衆議院議員にも駆けつけていただき、お祝いのスピーチをちょうだいしました(写真下)。
 まだまだ未解明の分野もありますので、引き続き頑張ります。

2013年2月2日土曜日

『図説 多賀城海軍工廠』の注文はメールでも受け付けます。

 『図説 多賀城海軍工廠』のご注文はメールにて著者もお受けいたします。
お気軽にご注文ください。

◆ 『図説 多賀城海軍工廠』の特徴
  ①多賀城海軍工廠の全体像がわかる初めての本です。
 
    ・藤原益栄18年の調査成果を1冊にまとめました。
 
  ②A3版、54ページ中、38ページがカラー版。写真、図をふんだんに使っています。
  ③1,000円の低価格。「これで1,000円とは信じられない」の声が!

◆メールでの申込みの方法
  ①「f.masuei@gmail.com」に以下の事項を記入しお申込みください。
 
    ・『図説 多賀城海軍工廠』を   冊注文いたします。
 
 
    ・氏名
    ・住所(送り先)
    ・電話番号
    ・その他(必要なことをご記入ください)
  ②著者がメール注文を確認後、返信メールにて振り込み金額、口座等をお知らせいたします。
 
    ・振り込み手数料は注文者負担とさせていただきます。
    ・送料は1冊200円とさせていただきます。
    ・価格は原価に近い設定としていますので、以上ご理解ください。
  ③入金確認後、ただちに発送手続きをおこないます。 

2013年1月28日月曜日

『図説 多賀城海軍工廠』を発行――藤原益栄市議に聞きました。

 
 
 
 
◆新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
【藤原】よろしくお願いいたします。
◆さて、『図説 多賀城海軍工廠』を「くらしと民主主義、史跡・緑を守る多賀城懇話会」(略称「多賀城懇話会」大村武平代表)から発刊されたのは11月初めでしたね。6日には『河北新報』でも紹介され、大変な反響だったとうかがいました。
【藤原】6日から8日にかけ、多賀城懇話会事務局長の阿部さんのお宅に2百数十件もの電話がはいりました。待たれていたということを実感しますし、想像を超える反響に私も驚いています。
◆なぜ今の時期の発行かということですが…。
【藤原】昨年4月13日は多賀城懇話会結成10周年でした。また昨年6月4日は多賀城海軍工廠用地強制買収70周年でしたし、今年10月1日は開廠70周年にあたっています。それで多賀城懇話会が結成10周年事業として『図説 多賀城海軍工廠』発刊を位置付け、私が執筆を担当することになったという次第です。
◆『海軍工廠』とは何か、ご存じない方もいらっしゃると思いますし、懇話会あるいは藤原さんがなぜこんなに『多賀城海軍工廠』にこだわるのか、という点ですが…。
【藤原】海軍工廠とは海軍の直轄兵器工場のことで、全国14ヵ所にありました。私どもが多賀城海軍工廠にこだわるのは、「今日の多賀城の原型は海軍工廠によってつくられた」という認識からです。たとえば、多賀城の工場地帯は多賀城工廠の機銃部跡ですし、自衛隊駐屯地や丸山公務員官舎は火工部跡です。多賀城中学校は女子工員宿舎跡、多賀城公園・天真小学校は幹部の遊技場跡です。東北学院大学工学部・旭ヶ岡の自衛隊官舎は男子工員寄宿舎・工員養成所跡です。
◆「今日の多賀城の原型は海軍工廠」という意味がよくわかりました。ところで多賀城海軍工廠に興味をもったきっかけは何だったんですか。
【藤原】私は1975年4月に東北学院大学工学部に入学し明月二丁目に住んでいました。卒業と同時に居を留ヶ谷に移し、1983年4月に市議に当選させていただきました。工学部も明月も工廠と関係がある。そして議員になって様々な方から教えていただき徐々に「多賀城は海軍工廠ぬきに語れない」と思うようになりました。
◆興味をお持ちになるということと、このような調査研究をされることには一定の飛躍があるように思えるのですが…。
【藤原】実は「自分がやらなければ誰もしないかもしれない」と思うことがあったのです。本市の近現代史の通史である『多賀城市史』第二巻が発刊されたのは1993年3月で、ただちに読みました。この巻に収録された中川正人先生執筆の「戦争と多賀城」は非常にすばらしいものでした。同時に課題も明らかになりました。たとえば、機銃部を造るために移転を強制された八幡沖区の方々の証言はありましたが、火工部のために移転を強要された笠神の方々の証言はまったくありませんでした。また、昭和20年4月から多賀城工廠の約半分が松島・高城の地下に移ったのですがそれも全く触れられていない。東北本線の海岸廻工事も触れられていない。
 それで私は1994年の12月議会の一般質問で「来年は終戦50周年。まだまだ未解明の分野がある」として先の点を指摘しつつ「市史編纂室の体制を崩さず引き続き資料収集と調査研究を」と主張しました。答弁は「これ以上資料は集まらない。市史編纂室も解散する」というものでした。この答弁を聞いて「これは自分がやる以外ないな」と思ったのです。ですから自らの課題としてハッキリと意識したのは18年前ということになります。
◆それにしてもよくこれだけ資料を集めることができましたね。
【藤原】資料収集の第一のピークは1998年に発刊した『多賀城小学校の百二十五年』の編集過程でした。多賀城小学校の「学校日誌」で多くのことが解明されましたし、朝鮮人徴用工員宿舎等の写真も集まりました。
 二つ目に、2002年に多賀城懇話会が結成され、2003年11月に図書館で「造営から60年―目で見る多賀城海軍工廠展」を開催しました。この時、中川正人先生から市史執筆の際使用した資料の提供を受けました。この資料により松島地下工廠の全容も明らかにすることができました。
 三つ目に、この9年の間も多賀城懇話会として、工廠跡ツアーや語る会等を取り組んできました。その中で徐々に徐々に資料が集まってきました。市の職員からも資料提供をいただきました。
◆『図説』の特徴を簡単にご紹介ください。
【藤原】第一は、多くの写真と図版を用い(カラーが38ページ)、多賀城海軍工廠の全体像をわかりやすく解説していることです。海軍工廠とはなにか、多賀城になぜ造られたか、多賀城と松島の施設概要、そこで何を作っていたか、強制買収と強制移転の様子、造成のための強制労働の実態、戦後の土地利用等トータルに理解することができます。
 第二に、まったくオリジナルな証言が収録されています。特に女子挺身隊として多賀城工廠で働いていた赤間春子さんの手記は圧巻です。
 第三に、多賀城海軍工廠の開設日や火工部爆発での犠牲者数などの新たな解明もあり、また詳細な年表も作成し掲載しています。
 手にしていただければ「これで千円?安い!」と思っていただけるはずです。
◆どうやれば入手できるのですか。
【藤原】お知り合いの市議さんに頼んでください。「ブックスなにわ」多賀城店でも扱っています。
◆今日はありがとうございました。
【藤原】こちらこそどうもありがとうございました。(『多賀城民報』2013年1月18日より)