多賀城市教育委員会の平成27年度企画展として、11月1日(日)から『多賀城海軍工廠』展が始まりました。それに先立ち、本日8時45分から展示室前で「開会式」が行われました。同展示は多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室にて12月20日(日)までで、開館時間は午前9時から午後4時半までです。
多賀城海軍工廠については藤原益栄市議が1995年から調査を続け、2012年11月に『図説 多賀城海軍工廠』としてまとめ出版しています。あわせて同市議は「市教委としても取り組むべきだ」と主張してきた経過があります。
今回、「平成27年度文化庁 文化遺産を活かした地域活性化事業」を活用し展示することになりました。
説明をする市教委文化財課職員
(2915年11月1日午前)(左)
昭和20年5月25日、米軍は多賀城海軍工廠の航空写真を撮っていた。同日の多賀城国民学校の学校日誌に「B291機襲来」との記録がある。
初めて投稿させていただきます。
返信削除昭和33年に多賀城で生まれ、昭和41年まで八幡に住んでいました。
当時の東北学院大学は、周りに塀がなく構内に自由に入れたので、現在の守衛室の裏手にある、小さな小高い丘に登ってドングリ拾いをしたり、家族でお弁当持参で、グランド脇の桜の木の下で花見をしてました。
砂押川を渡って右手に町役場が見えてくると、道路を挟んだ反対側(現在は信号がある交差点の西側の角)に、自動車教習所の跡があったと思います。当時既に使われておらず、廃墟になってました。
その先、現在は学院大の守衛室になってますが、そこに木造の小さな建物が立ってました。今にして思えば検問所の跡だったかも知れません。
大学周辺は、まだ進駐軍の住宅が多く残っていて、当時安く売りに出されたらしく、住んでる方も結構いたと思います。
探検気分で空き家になった敷地に入ったこともありました。
舗道には30センチ四方のコンクリート板が敷かれていて、家屋が舗道から5~6m奥にあり、白いペンキが塗られた塀に、窓の縁が緑色の、アメリカ式住宅が点在してました。
当時のこの付近の写真等がありましたら、是非拝見したいと思っています。
あまり参考にならないかもしれませんが、当時の事をご存知ではないかと思って投稿しました。