「多賀城国民学校」(現多賀城小学校)の日誌が忠実に記念誌『多賀城小学校の百二十五年』に掲載されており、以下の「警戒警報」「空襲警報」が記録されています。なぜこれほどの警報が発令されたか?多賀城海軍工廠の存在抜きには考えることができません。
《昭和19年》
・5/20 pm6:50警戒警報発令。
・5/21 警戒警報発令中につき宿直増員。
・6/16、17、19 警戒警報発令。
・8/5 空襲警報発令。
《昭和20年》
・2/6 空襲警報発令につき児童退避せしむ。
・2/7 命により初等科3年以下児童出校停止。am10: 30、警戒警報発令につき下校せしむ。
・2/27 9:20警戒警報発令。
・4/12 警戒警報・空襲警報発令。
・4/13 警戒警報発令。
・4/22 空襲警報発令(8:20~8:50)。
・5/11 警戒警報発令(9:15~10:19)。
・5/13 警戒警報発令(13:00)。
・5/25 警戒警報発令(8:50~9:00)、解除後B29一 機来襲。
・6/10 警戒警報(9:00~9:26)。
・6/23 警戒警報発令(8:40~9:00)。
・6/24 警戒警報発令(0:00~1:30)。
・6/25 警戒警報発令(23:50~2:10)。
・6/27 東北北地区警戒警報発令(0:27~1:55)。
・6/28 警戒警報発令。
・6/29 警戒警報発令。敵機二機来襲。
・7/2 警戒警報発令。
・7/3 警戒警報発令(23:00)。
・7/4 警戒警報発令(1:00)。
・7/5 警戒警報発令(23:50)。
・7/6 警戒警報発令(3:00)。
・7/9 警戒警報発令(21:00)。
・7/10 空襲警報発令(0:00)。「仙台市内が爆撃さ れ相当被害ある模様なり。空襲のため校長、浜田、 朝倉、砂野先生宅焼失す」。空襲警報発令(23:00)。
・7/11 警戒警報発令(23:45~0:45)。
・7/12 警戒警報発令(23:30~1:30。一部空襲あり)。
・7/13 空襲警報発令(20:30)。
・7/14 警戒警報・空襲警報発令(5:15~23:30)。 警戒警報発令のため授業行わず職員作業を行う。
・7/15 警戒警報発令(5:30~10:45、13:35~16:05)。
・7/16 空襲警報発令(5:00)。初等科児童出校停止、 職員作業を行う。
・7/17 空襲警報発令(5:00)。初等科児童出校停止、 職員作業を行う。
・7/18 初等科児童出校停止、授業行わざる日。
・7/19 初等科・高等科児童出港停止、授業行わざる 日。
・7/20 警戒警報発令(0:00~1:30、9:20~10:30、1 2:40~13:30)。初等科・高等科児童出港停止、授 業行わざる日。
・7/24 警戒警報発令しばしばあり。
・7/25 警戒警報発令。
・7/27 警戒警報発令(20:00)。
・7/28 警戒警報発令(11:00~13:30)、空襲警報発 令(20:00~0:30)。
・7/29 警戒警報発令(9:30~11:00)。
・7/31 警戒警報発令。
・8/6 警戒警報発令(8:50~9:20、23:00)。
・8/7 警戒警報発令(22:50~11:30)。
・8/8 警戒警報発令(10:30~12:10)。
・8/9 空襲警報のために授業行わず。空襲警報発令 (5:40~17:25)。グラマンF6F五機、爆弾一発投 下。
・8/10 警戒警報発令(5:25)。空襲警報発令(5:30 ~17:30)。「敵艦載機終日来襲す。グラマンF6F 百機、爆弾16発投下。死者2名、負傷者27名」。 空襲のため授業行わず。
・8/11 空襲警報発令(11:20~11:45)。
・8/12 警戒警報発令(16:17~16:35)。
・8/13 警戒警報発令(5:15)。
・8/14 警戒警報発令(8:15、23:00、0:00)。
・8/15 警戒警報発令(7:55)につき授業行わず。 正午、玉音放送。
「多賀城海軍工廠」跡の案内用に藤原が執筆したパンフ『ガイド・ザ・多賀城海軍工廠』と『多賀城海軍工廠展』で作成したパネルを組合せ電子版として発信することにいたしました。「多賀城海軍工廠」の最新の調査・研究と自負しておりますが、思い違い等ありましたらご指摘くださるようお願いいたします。
2012年3月13日火曜日
2012年3月11日日曜日
多賀城海軍工廠の完成品は横須賀海軍軍需部へ
多賀城海軍工廠で製造された機銃や弾丸、爆弾等は引込線積出場から東北本線を経、横須賀海軍軍需部倉庫に運び込まれ、そこからまた「ゼロ戦」組立工場等へ送られました(機銃部勤務嶺岸儀蔵さんの証言)。横須賀軍需部の倉庫群は現在相模運輸倉庫等として使用されています。
2012年3月2日金曜日
海軍区令(大正12年3月26日勅令第56号)による鎮守府の管轄図
「全国14ヵ所にあった海軍工廠」に記したように、海軍工廠令により各工廠は必ず鎮守府に所属することになっていた。多賀城海軍工廠は横須賀鎮守府に所属していたわけであるが、そもそもの鎮守府の管轄が何により規定されていたのか。それは海軍区令によってである。すなわち同令第1条により陸海上に第1~4の海軍区が設定され、第2条で各海軍区に軍港を置くことにし、さらに第4条で各海軍区は各軍港に置かれた鎮守府により管理されることになっていた。海軍区、軍港、鎮守府の関係は以下のごとくである。
(図は「海軍区令」〈大正12年3月26日勅令第56号〉にもとづき藤原が作成した)。
第1海軍区 管轄区域:下表のとおり 軍港:横須賀 横須賀鎮守府
第2海軍区 管轄区域:同 軍港:呉 呉鎮守府
第3海軍区 管轄区域:同 軍港:佐世保 佐世保鎮守府
第4海軍区 管轄区域:同 軍港:舞鶴 舞鶴鎮守府
(図は「海軍区令」〈大正12年3月26日勅令第56号〉にもとづき藤原が作成した)。
第1海軍区 管轄区域:下表のとおり 軍港:横須賀 横須賀鎮守府
第2海軍区 管轄区域:同 軍港:呉 呉鎮守府
第3海軍区 管轄区域:同 軍港:佐世保 佐世保鎮守府
第4海軍区 管轄区域:同 軍港:舞鶴 舞鶴鎮守府
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