2012年2月1日水曜日

多賀城の水道の始まりは「多賀城海軍工廠」

多賀城市八幡2丁目の末の松山浄水場入口左手にある多賀城市「水道沿革碑」。同浄水場は横須賀海軍施設部が現仙台市岡田に井戸を掘り、集水した水を浄水するために造った浄水場。浄水された水はここから現多賀城高校北側にある「天の山配水池」に送水され工廠関連諸施設に給水された。上写真左にある消火栓は横須賀海軍施設部によるもので、上部に錨マークがついている。    海軍工廠造営時に造られた水道施設の所管は、米軍、防衛庁を経、多賀城市に全面移管されたのは昭和54年4月で、比較的最近のことである。









多賀城高校北側にある天の山配水池。写真は海軍工廠時の配水池を解体し、2基目の新配水池を造ろうとしている時期のもの(多賀城市水道部提供)。

なお以上「末の松山浄水場」「天の山配水池」の地図上の位置については、2011年11月26日の掲載した「多賀城海軍工廠跡の現況」図でご確認ください。

塩釜市立病院になった「多賀城海軍工廠共済病院」

臨海鉄道となった「多賀城海軍工廠」引き込み線

【臨海鉄道となった工廠引込線】
仙台臨海鉄道は昭和46年7月に開港した仙台港とその背後の工業地帯と全国の鉄道網を結ぶ目的で昭和45年11月7日、国鉄・宮城県・東北石油などの進出企業の共同出資で設立されました。開業は翌46年10月1日で、午前10時から仙台港駅構内で開業式が行なわれました。当日の気候は「晴天にして風やや強く」、10時25分に三発の花火を打ち上げ、それを合図に石油を満載した第一号列車が山王駅にむかいました。当然ですが多賀城町長も来賓としてテープカットをしました。この臨海鉄道のルートは多賀城海軍工廠の引き込み線のルートをそのまま使用しています。











未だ謎に包まれる火工部の大爆発(1943・12・11)

昭和18年12月11日、開廠したばかりの多賀城海軍工廠火口部は大音響とともに爆発炎上した。その実態はいまだ謎に包まれている。



多賀城海軍工廠・動員学徒の覚書(黒羽武蔵作)その2










多賀城海軍工廠・動員学徒の覚書(黒羽武蔵作)その1