兵庫県加西市の上谷昭夫さんより「多賀城海軍工廠製作機銃の木箱の板が農家の納屋から見つかった」とメールを頂戴し、写真を送っていただきました。加西市には、「零戦」の後継機である「紫電」「紫電改」を組み立てる工場(
川西航空機姫路製作所)があったそうです。
多賀城海軍工廠で製作され、試射実験をパスした機銃は、引込線、東北本線、横須賀線経由で横須賀海軍軍需部に送られ、そこから全国の戦闘機組立工場に再配送されたことがわかっていましたが(嶺岸儀蔵さんの証言)、具体的にどこに送られたか全くわかっていませんでした。今回、具体的な証拠により初めて明らかになりました。
右半分の写真は左半分の左下部分の拡大写真です。
上谷さんは加西市で戦争遺跡を調査・保存する「鶉野平和祈念の碑苑保存会」の会長さんをされていらっしゃいます。
今後、多賀城懇話会両者の交流が発展することを期待しています。