◆新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
【藤原】よろしくお願いいたします。
◆さて、『図説 多賀城海軍工廠』を「くらしと民主主義、史跡・緑を守る多賀城懇話会」(略称「多賀城懇話会」大村武平代表)から発刊されたのは11月初めでしたね。6日には『河北新報』でも紹介され、大変な反響だったとうかがいました。【藤原】6日から8日にかけ、多賀城懇話会事務局長の阿部さんのお宅に2百数十件もの電話がはいりました。待たれていたということを実感しますし、想像を超える反響に私も驚いています。
◆なぜ今の時期の発行かということですが…。
【藤原】昨年4月13日は多賀城懇話会結成10周年でした。また昨年6月4日は多賀城海軍工廠用地強制買収70周年でしたし、今年10月1日は開廠70周年にあたっています。それで多賀城懇話会が結成10周年事業として『図説 多賀城海軍工廠』発刊を位置付け、私が執筆を担当することになったという次第です。
◆『海軍工廠』とは何か、ご存じない方もいらっしゃると思いますし、懇話会あるいは藤原さんがなぜこんなに『多賀城海軍工廠』にこだわるのか、という点ですが…。
【藤原】海軍工廠とは海軍の直轄兵器工場のことで、全国14ヵ所にありました。私どもが多賀城海軍工廠にこだわるのは、「今日の多賀城の原型は海軍工廠によってつくられた」という認識からです。たとえば、多賀城の工場地帯は多賀城工廠の機銃部跡ですし、自衛隊駐屯地や丸山公務員官舎は火工部跡です。多賀城中学校は女子工員宿舎跡、多賀城公園・天真小学校は幹部の遊技場跡です。東北学院大学工学部・旭ヶ岡の自衛隊官舎は男子工員寄宿舎・工員養成所跡です。
◆「今日の多賀城の原型は海軍工廠」という意味がよくわかりました。ところで多賀城海軍工廠に興味をもったきっかけは何だったんですか。
【藤原】私は1975年4月に東北学院大学工学部に入学し明月二丁目に住んでいました。卒業と同時に居を留ヶ谷に移し、1983年4月に市議に当選させていただきました。工学部も明月も工廠と関係がある。そして議員になって様々な方から教えていただき徐々に「多賀城は海軍工廠ぬきに語れない」と思うようになりました。
◆興味をお持ちになるということと、このような調査研究をされることには一定の飛躍があるように思えるのですが…。
【藤原】実は「自分がやらなければ誰もしないかもしれない」と思うことがあったのです。本市の近現代史の通史である『多賀城市史』第二巻が発刊されたのは1993年3月で、ただちに読みました。この巻に収録された中川正人先生執筆の「戦争と多賀城」は非常にすばらしいものでした。同時に課題も明らかになりました。たとえば、機銃部を造るために移転を強制された八幡沖区の方々の証言はありましたが、火工部のために移転を強要された笠神の方々の証言はまったくありませんでした。また、昭和20年4月から多賀城工廠の約半分が松島・高城の地下に移ったのですがそれも全く触れられていない。東北本線の海岸廻工事も触れられていない。
それで私は1994年の12月議会の一般質問で「来年は終戦50周年。まだまだ未解明の分野がある」として先の点を指摘しつつ「市史編纂室の体制を崩さず引き続き資料収集と調査研究を」と主張しました。答弁は「これ以上資料は集まらない。市史編纂室も解散する」というものでした。この答弁を聞いて「これは自分がやる以外ないな」と思ったのです。ですから自らの課題としてハッキリと意識したのは18年前ということになります。
◆それにしてもよくこれだけ資料を集めることができましたね。
【藤原】資料収集の第一のピークは1998年に発刊した『多賀城小学校の百二十五年』の編集過程でした。多賀城小学校の「学校日誌」で多くのことが解明されましたし、朝鮮人徴用工員宿舎等の写真も集まりました。
二つ目に、2002年に多賀城懇話会が結成され、2003年11月に図書館で「造営から60年―目で見る多賀城海軍工廠展」を開催しました。この時、中川正人先生から市史執筆の際使用した資料の提供を受けました。この資料により松島地下工廠の全容も明らかにすることができました。
三つ目に、この9年の間も多賀城懇話会として、工廠跡ツアーや語る会等を取り組んできました。その中で徐々に徐々に資料が集まってきました。市の職員からも資料提供をいただきました。
◆『図説』の特徴を簡単にご紹介ください。
【藤原】第一は、多くの写真と図版を用い(カラーが38ページ)、多賀城海軍工廠の全体像をわかりやすく解説していることです。海軍工廠とはなにか、多賀城になぜ造られたか、多賀城と松島の施設概要、そこで何を作っていたか、強制買収と強制移転の様子、造成のための強制労働の実態、戦後の土地利用等トータルに理解することができます。
第二に、まったくオリジナルな証言が収録されています。特に女子挺身隊として多賀城工廠で働いていた赤間春子さんの手記は圧巻です。
第三に、多賀城海軍工廠の開設日や火工部爆発での犠牲者数などの新たな解明もあり、また詳細な年表も作成し掲載しています。
手にしていただければ「これで千円?安い!」と思っていただけるはずです。
◆どうやれば入手できるのですか。
【藤原】お知り合いの市議さんに頼んでください。「ブックスなにわ」多賀城店でも扱っています。
◆今日はありがとうございました。
【藤原】こちらこそどうもありがとうございました。(『多賀城民報』2013年1月18日より)